ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論第3巻』(今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫2003年刊)

ベンヤミンの本は、翻訳のあるものはひとおり全部読んだ。それで何が一番好きかというと、迷わずに『パサージュ論』だ。以前は、図書館で借りて読んだが、今回は第三巻を購入し、再読した。やはり素晴らしかった。読んでいて、何とも居心地がいい。無論、理解の難しいところもたくさんある。だが、読んでいて、気持ちが落ち着くのだ。また、ぽっと興味を感じ、心が温かく動くのだ。
『パサージュ論第3巻』を読んでいて何がこんなにも私にとって心地がいいのだろう。それは、爛熟と汚辱と虚栄の都市、パリの死を予言し、死につつあるパリの傍らにいる感覚ではないだろうか。終わろうとする命によりそう心の姿勢が、ある種絶対的とも言える静寂の雰囲気をだしている。
だが、それにしても、ベンヤミンの読書は質・量ともに抜きんでている。この草稿は100年前に書かれたにもかかわらず、現代において重視される作家の著作をリアルタイムで読み引用している。パッと思い出すだけでも、マキシム・デュ・カン、C.G ユング(無論フロイトも)、ロジェ・カイヨワ、ブルトンミシュレ等々とつづく。だが、プルーストハイデガーの名前をみても驚かないが、ベンヤミンの引用が素晴らしいのは、おそらく今は完全に忘れさられた著作の数々を引用していることなのだ。こんなにも多くの人々が、パリについて魅了され、観察し、思いをめぐらした。そして、現代において彼らのことに知る人はもういない。
パリの死の預言は、カール・マルクスの、ブルジョワ社会の終焉という予言と重なっている。ベンヤミンは、語のそのもっとも崇高な意味で、マルクス(主義)者だったからだ。しかし、パリの退廃と汚辱に惹かれるベンヤミンは、一筋縄のマルクス(主義)者ではなかった。それは、政治向きではない。ベンヤミンはそういう割り切れなさをずっと引きずっていた。