レオ・アフリカヌスあるいは『トリックスター・トラベル』5

Natalie Zemon Davis, Trickster Travels: A Sixteenth-Century Muslim Between Worlds (2006)についてのノート

5.近世初頭の北アフリカにおける宗教の閾を超える性的逸脱について
イスラム教の発生の地、西アラビアの言葉は、非アラブ圏の言葉と接触し変質していった。諸言語の混交は、必ずしもイスラムの文化を破壊しなかった。そしてアル・ワッザーンの取り上げるもうひとつの混交は、性に他ならない。ナタリー・デーヴィスは、性の混交にとりわけ注目している、ように見える。
イスラム法では性的交渉は正式の結婚、あるいは合法的な奴隷との場合を除いて罪となる。ただし、ムスリム男性は経典の民である自由民のユダヤ人女性、キリスト教徒の女性を都合4人の妻のうちにもつことができた。また、自らが所有するユダヤ人の奴隷、キリスト教徒の奴隷との性的交渉を持つことも罪には問われなかった。異教徒の奴隷との間にできたこどもは、自動的にムスリムとして育てられた。他方、ムスリムの女性は、同じムスリムの男性としか結婚できなかった。また、ムスリムの女性は、奴隷との性交渉は許されなかった。ムスリム法とは対照的に、ユダヤ人とキリスト教徒の法では、性交渉の境界は厳格に閉じられていた。ラビによる法では、結婚、および性交渉はユダヤ人に限られるのだ。キリスト教聖典および教会も、非キリスト教徒との結婚・性交渉を例外なく禁止した。
しかしながら、それらの境界は、実際には流動的なのだと、ナタリー・デーヴィスは言う。とりわけ宗教の閾を超えた性行為は、例えば、キリスト教王国であるアラゴン王国では、キリスト教徒やユダヤ教徒の男達は、マイノリティであるムスリムの女たちと交渉をもった。その女達とは、奴隷、娼婦であり、自由民もいた。さらにそこでは、自由民のキリスト教徒とユダヤ教徒の女達が、ムスリムの情夫をもつこともあったのだ。無論、この「性的逸脱」は、処罰の対象である。
アル・ワッザーンは、ムスリム統治時代のグレナダやフェズでの日々を回想する。そこでは、ムスリムの夫がキリスト教徒やユダヤ人の妻をもつことは決して珍しいことではなかった。そして、イスラム教もユダヤ教も禁止していたことだけれども、ユダヤ人の男達は、ムスリムの娼婦のところに通った。ところで、アル・ワッザーンは、北アフリカおよびイタリアにおける梅毒の感染・猖獗は、ユダヤ人の娼婦がキャリアーになっていたと見ているようだ。
ナタリー・デイヴィスは、分かりやすい結論を書いてはいない。が、シロートから言わせれば、要するに、人間の性的な営みは、宗教という枠組み・対立・掟を軽々と越えてしまう、そして、深刻な偽の宗教対立に喘ぐ現代において、人間の根源的な営みである性を歴史的に見つめなおすことは、人類の和解、寛容、再生にむけた重要な視点を提供しているはずだ、と思えてくる。

(つづく)