『海事の第二次世界大戦海戦史』を読む4、EVAN MAUDSLEY: THE WAR FOR THE SEAS

4.日本帝国海軍の終焉
近代戦において国を勝利に導く要因は何か。国の経済力か、国民・兵士の士気か、有能な軍事指導者か、はたまた運命のいたずらのような偶然、ないしは運・不運なのか。この本が重視するのは戦争の局面を有利に導く軍事戦術・武器類の革新なのである。この本は軍事にかかわるプロフェッショナルな視点をもっている。

この大冊の興味深いところは、ディティールもさることながら(例えば、ウッディ・ガスリー[初期ボブ・ディランの師]が米国商船に対するUボート攻撃への国民的憤りを歌にしている、ことなどは私にはとりわけ面白い)、大きな戦術への革新を丁寧に辿るところだ。そして、この本がとりわけ注視するのは、米英側の敵前上陸という新様式と暗号解読の著しい優位性なのだ。

艦砲射撃(空爆も含め)により海岸戦の防御網を徹底的にたたき、そこに上陸用舟艇により敵前上陸する。ノルマンディー上陸作戦の光景を、何か当然のように見ていたが、それは英米における戦術の革新なのだった。短期間に敵の防御線を突破する戦術の練り上げとそれを可能にする上陸用舟艇の開発があった。北アフリカでの反撃に始まる敵前上陸作戦は、シチリアから始まるイタリア侵攻に引き継がれ(TV“ギャラントメン”の深夜の上陸作戦のタイトル・シーンを思い出す)、南太平洋での対日戦、際立つその迅速な作戦行動を特長づけている。敵前上陸作戦こそ、アメリカの自由と勇敢さと豊かさとの表現のようにも見えてくる。逆に、枢軸側に敵前上陸作戦はなく、その攻撃は、おもに陸路によるソフトターゲットへの奇襲なのだ。

英国の暗号解読の任にあたる本部がロンドン郊外のブレッチリー公園にあった。ナチスドイツのベルリンからの指令のほとんどが解読されていた。そのようにしてUボートによる英国海上封鎖が急激に威力を失ってゆく。また、ミッドウェー海戦における帝国海軍のやりとりも同様に解読されていた(ミッドウェーにおいてレーダー技術が果たした役割は案外少ないと著者は分析する)。何よりも有名な山本五十六ブーゲンビル島での撃墜死は、暗号解読の結果なのだ(ここで興味深いエピソードは、山本の“暗殺”について現地米軍は判断に迷い大統領への了解をもとめた。山本を射止めることと、高度な暗号解読の実態を日本側に伝えてしまうことの間で判断を迷った。)

米英の暗号解読の優位を、米英の民主主義の勝利であるとこの本の著書モウズリーは説く。つまり、ナチス・ドイツは、権威主義的で在野の才能を活用することができなかった。他方、米英軍は、ひろく人々の英知を結集して成果をあげたのだ、と。そのもっとも輝かしい成功例として暗号解読を上げているのだ。

最後に太平洋戦争の末期におけ我が国の特攻攻撃ついて考えたい。日本では、特攻攻撃をまるで効果がなかったように言うが、この本では、米側の恐怖心は並大抵のものではなかったことが分かる(低空散発的来襲はレーダーでとらえ切れなかった)。そして、米国側にとってそれは理解を超えた狂気の攻撃だったのだ。彼らは、自分らの理解を超えているところに恐怖した。そして、著者モウズリーの分析は、その狂気の由来を天皇制の護持というよりは、帝国海軍の存続をかけた賭けであると見做しているのだ(10万人の特攻攻撃によって[10万人の死の犠牲によって]、米国側の譲歩を引き出し休戦に持ち込むというシナリオが海軍幹部に共有されていた)。そして、戦艦大和・武蔵の沖縄への出撃もまたしかりだが、モウズリーの疑問符は、そこまで追い詰められた日本において、反乱がどうして起きなかったのか、ということなのだ。軍エリートが大局的判断をもたず、人々を虫けらのように扱おうとしているとき、それでもなお多くの兵士が何の抵抗もせずに唯々諾々と死の命令に従う、モウズリーはつくづく不可解であると思う。