クリフォード・トンプソン、“本を読め、あるホームレスの思い出”(タイムズ文芸付録、2018年1月12日号)

デリックという黒人のホームレスは、一風変わったところがあった。「本を読め」と通行人に呼びかけるのだった。もう何年もキーフード食料雑貨店のところに屯していて、時々言葉を交わした。無論、彼を友人だと思ったことはない。ニュージャージーの大学で法律を教えているブリアン・シェパードさんも、時々デリックとの短い会話を楽しんでいた。ただ、教授は、デリックの亡くなった娘の話はウソだと私に言っていた。
地域の内輪の繋がりある人たちがデリックの様子を見て(ソーシャルワーカーと協力して?)デリックを入院させた。だが彼は、肺がんで一昨年の6月に亡くなった。すると教授のブリアンが中心となり、金を出し合い、記念の金属板をデリックのいつもの居場所に付ける、ことになったのだ。記念金属板は、夏が終わり秋に向かう頃、はめ込まれた。記念板に触発されてか、多くの人々がデリックの死を悼み、思い出を伝えるメールを教授のところへ届けたのだ。
デリックはブルックリンのベッドフォード地区、公園坂で育った。父親は、結構立派な貸アパートをもっていた。90年代にデリックはドラッグ(クラック)中毒となり、それですべてを失ってしまったのだった。
物乞いするデリックは、昔の黒人エンターテインメントの軽妙なノリがあった。しかし、その明るい表情とは裏腹に、別の暗い噂もあった。彼はマリファナの売人であると言う人々がいた。教区牧師は、それは黒人を監獄に送る罠だと否定した。本当のところはどうなのだろう。がそういう彼の良くない噂とは裏腹に、この場所におけるデリックの存在は私たちとってとても大切なものだった。教区牧師は、『聖書』の言葉を引用するのが好きだったデリックを回想して、「デリックは物乞いの成功者だ」と言った。
娘と入院中のデリックを見舞いに行った。そのことを娘はフェースブックにアップした。すると、娘のところに同い年の子から多くの共感のメールが届いた。
今でも人々はデリックについて語る。彼の言葉は、さまざまに解釈されるのだ。「本を読め」という彼の言葉は、教区牧師に言わせると「スマホばかりをみているんじゃない」ということになる。