永井均『哲おじさんと学くん』(岩波現代文庫)

学校の先生は、毎年2万人もの人が自殺している、対策を講じなけならないと言うけど、僕はそれを聞いて、そもそも人間はなぜみんな自殺しないのだろう、ということの方が気になってしまう。(永井均は時々このような幼稚とも言える、だがとても深い問いを発する。私は、このような世の不思議に関する問いが大好きである。世の中の、約束事に汲々として生きていくのにはもう飽きた、と言いたいところが私にはある。世の中は、ちょっと立ち止まって考えてみてみると実に不思議なことに充ちている。)

 

どうして僕は僕であって君ではないのか。どうして僕はひとりであって皆ではないのか。どうしてあなたは他人なのか。どうしてあなたは僕という意識とかけ離れて「ある」のか。(存在についての問いは、虚しいどころか、孤独を豊かに彩る、ところがある。存在についての虚しい問いを繰り返すことは、素晴らしい時の過ごし方である、かも知れない。)

 

人生におけるすべての充実の場面にはごまかしがある(アルコールのようなものである)。寂しい方が真実である。ニセの充実よりも寂しさを味わっているほうがいい、と思う時がある。一人でいる寂しさには、自分だけの、雑音のない、別の楽しみがある。

(しかし、この寂しさを味わうのにも、一定の生活が成り立っていなければならないと思う、確証はない。)