西村賢太 『藤澤淸造追影』(講談社文庫、2019)

つげ義春が、「私小説しか読む気がしない」と言っていたのを思い出す。私も、私小説が好きだ。私小説には、貧困、性欲、病苦、無学歴、独りよがりと劣等感がいっぱいつまっている。西村賢太の場合はそこに暴力が蠢く。それも正義の暴力でなく些か卑劣な暴力なのがいい。私小説を読むとそれらのマイナーな心情に惑溺できるのが嬉しい。
この本は、昭和の初め脳梅で頭がおかしくなり、芝公園野垂れ死にした私小説作家、藤澤淸造についての偏愛的エッセイと、東京江戸川区生まれの著者が、東京の街々をめぐるエッセイからなる。…西村賢太が、弱者・劣等者の真の味方かどうか分からないが、数少ない理解者・表現者であり、少なくとも上から目線の高級人士ではないのだ。西村賢太の文章は、活字文化圏におけるまことに嬉しい珍事である。

                                                  
ここ立て続けに西村賢太の本を読んだ。『藤澤清造追影』(講談社文庫)、『苦役列車』(新潮文庫)、『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社文庫)、『小銭をかぞえる』(文春文庫)、もう一冊読むか。…もうそろそろ西村の同工異曲ぶりに飽きてきてもよさそうなものだが、『小銭』も良かった。途轍もなく我儘な主人公と悲しい女の物語、すっこぬけた不幸の物語に、何故かは知らぬが、不思議な開放感がある。