高野慎三『つげ義春を旅する』(ちくま文庫、原著1998年刊)

この本は、つげ義春の漫画の舞台を探し訪ねる本ではない。結果としてそうなってしまう場合もあるが(下町にメッキ工場を探訪する件など)、そうではなく、われわれにとってとても懐かしい風景を、つげ作品をヒントにして探し・訪ねる本なのだ(この本では、つげ作品はきわめて良質のガイドブックなのである)。もうすぐ失われてしまう懐かしい風景をなるべく早く、多くみておきたい、と。
もともとつげ義春の漫画は好きで、マニアではないが一通り読んできている。一方、私は、つげ漫画とはべつに、懐かしい風景をずっと、なかば無意識に探し続けてきたように思う。そしてこの本を読んでいると、私のなかの懐かしい風景が蘇ってきて、共鳴しあうのだ。…山登りをしていたころ南会津の山に特別の思いをもっていた。この本を読むと、「南会津の山がいい」とつげが発言している。桧枝岐にも足をのばしている。あるいは、磐越西線に乗りたくて、僕は最近、大内宿を訪ねたが、つげは、観光地として賑わうまえの大内宿に行っているのだ。すごい。自分の感性で美しいものを発見するほんものの芸術家だ。今回の大開発前の調布もすごく好きだったが、つげも調布への偏愛(嘗ての赤線の痕跡がある)を語っている。多摩川の土手の散歩も私は好きだ。つげもずいぶん歩いたようだ。
時代の変化から取り残されたような家並みや街、風景を(それがうらぶれていればもっといい)、なぜつげ義春は好むのだろうか。心が自然と落ち着く、という。…私は、何となくそこに、うらぶれたごまんという人生の静かなざわめきを聞き(ほとんど生きているだけの無意味な人生)、自分もまたそのような者でないか、と気付かされるのだ。