『太平記(一)』を読みつづける!

太平記』がいい。

第五巻
楠正成らの活躍にも関わらず、後醍醐天皇方は、鎌倉方の圧倒的な武力により鎮圧されてゆく。後醍醐天皇や息子(大東の宮)やらが流罪となり、側近も、護送の途次、切られたりしてゆく。それは、哀れを催す件なのだが、他方、鎌倉の北条高時は怪しい田楽に狂っているのだ。哀れを催す処分と、鎌倉の退廃の場面転換が何とも味わい深い。
第六巻
鎌倉幕府の滅亡と後醍醐天皇復権が、なにやらお告げや夢やらで知らされてゆく。超自然的なるものによる中世的なリアリティが見事だ。元弘三年幕府方は数十万の大軍を赤坂など南近畿に送る。
72歳になって、もはや思い残すことはないと言って先駆けして討ち死にする老武者、それを打ち明けられた38歳の武者が、同様に先駆けして死ぬ。その息子が、父の討ち死にの後を追う。本当の話とすれば、中世という時代の厳しさ、武士社会の競いあいのすさまじさ(それもまた競争社会というべきか)を思わざるを得ない。

水を絶たれ降伏する赤坂城のくだりには笑ってしまった。水を飲めずよれよれになった城中の兵は、打って出て討ち死にするのを一度は覚悟する。そこに平野何某なる者が、よれよれで闘うより、ここは一時降伏して時を待とう、と言う。その理屈が面白い。鎌倉方は、降伏した者の命を奪えば、今後、降伏する者は居なくなり必死の抵抗に難渋するのは必定であるから、我々の命は奪うまい、と。しかし、降伏した282人は、六波羅に護送されると、間髪おかず、一人残さず首を刎ねられた。楠正成のこれまでの知略を楽しんだあとで、この屁理屈のお粗末な結果を読むと、『太平記』の一筋縄では捉えきれない多元的面白さ実感をする。