エズラ・パウンドをめぐる二人の個性による往復書簡集; オーガスト・クレインザーラー(August Kleinzahler)

“ロンドン書評”(LRB、2019年10月10日号)で、エズラ・パウンドとモダニズムをめぐるエッセイを読む。モダニズムとパウンドにおける反ユダヤ主義の結びつきについて考えさせられた。また、文章が非常に洒脱で読ませる(語学力のみならず教養のレベルで半分も理解できたか分からないが)。

出たしからすごい。冒頭をはしおりながら訳してみよう。

1882年、ヴァージニア・ウルフとウイリアムズ・カルロス・ウイリアムズ(1882~1963、医師であり詩人)が生まれ、フリードリヒ・ニーチェは、マリング・ハンセン社製のタイプライターを購入した。そのタイプライターは、レミントン社製より性能が劣るが、安かった。(ニーチェが金欠だったのか、あるいはニーチェにケチるところがあったのか、興味深い逸話だ。) ニーチェは、おそらく梅毒による視力の減退で、タイプライターが彼の執筆の手助けになると考えたのだろう。ニーチェは、ブライドタッチを習得しようとしたが、すぐにそれは諦めた。だが以降のタイプライターによる執筆が、ニーチェの著作を、断片的なアフォリズム形に導いていった。(と、言い切れるのだろうか。ただ、モダニズムと何某かの機械文明との交錯は、示唆的である。)

このエッセイが軽妙洒脱なのは、ここでマクルーハンが登場してくることなのだ。タイプライターで箴言めいた考察を書いてニーチェのあとで、現代メディア論の起点であるマクルーハンが現れる。こともあろうに、マクルーハンは、この書簡集の一人であり当時教え子であったヒュー・ケナーに車を運転させ(ここでも、筆者は、運転したのはヒュー・ケナーでマクルーハンは運転しなかった、という余計なこと、だが陰影深い注釈をおこなっている)、入院中のエズラ・パウンドを訪ねるのだ。パウンドは、往時、ワシントンDCの病院に入院(収監か?)中だった。大戦中のパウンドのファシズム礼賛の発言が問題化していたのだ。マクルーハンという社会学者が(このとらえ方は粗雑にすぎるかも知れない)、エズラ・パウンドになみなみならぬ興味をもっていたことが、私にとっては驚きであり、新鮮なのだ。…ヒュー・ケナーはこの訪問で、強い衝撃をうけた。それは、パウンドが入院を必要とする精神の異常がまったく認めららなかったことではなく、パウンドの言葉の濃密さ、巧みさ、または罠に、さらに反ユダヤ主義に関する率直なもの言いに深い感銘をうけたのだ。

このエッセイを読んで、エズラ・パウンドとT・S・エリオットというともに反ユダヤ主義モダニズム詩人のことを思ったのだ。二つの大戦は、ヨーロッパの古典文化を破壊しつくした。二人の詩人は、それぞれの仕方で、その破壊を喪失として受け止めた。方や、二人の詩人は、アメリカ人である。アメリカにおける機械文明と強欲の競争社会は、ヨーロッパにおける古典文化の喪失と二重うつしになる。その喪失感は、モダニズム(古典的なるものの喪失としての荒涼とした現代)に向かう。モダニズムは、新たな現実への回答ではあるが、古き良き価値の崩壊の認識ぬきには成り立たなない。古典文化と良き価値観の破壊と強欲の社会の到来の陰に、じつはユダヤ人達がいる、というのがかれらの反ユダヤ主義なのではないか。

パウンドに強く影響されていた二人の個性―文芸批評のヒュー・ケナーとマルチな芸術家ガイ・ダベンポート―による内容豊かな往復書簡が昨年出版された(Questioning: VolsⅠ‐Ⅱ: The Letters of Guy Davenport and Hugh Kenner edited by Edward Burns.)、筆者オーガスト・クレインザーラーが、この往復書簡集を、屈折した物言いで寿いでいる。