東浦奈良男『信念/一万日連続登山への挑戦』(山と渓谷社、2011年)を読み進む。

写真がいい。東浦氏の登山生活のスタイルが分かる。山登り道具は大方が廃品利用なのだ。それは、必要性なのか思想なのか。ホームレスとも見間違えるその装束に恥じない心が羨ましい。が、座右の銘は『徒然草』の兼好の言葉「一事を成さんと思はば、他の事の破るるをも傷むべからず、人の嘲りをも恥ずべからず」と言う。つまり根っから恥の感覚がないのではなく、一種の大悟なのだ。千日回峰行からの影響がある。天候も体調も関係ない。いや、大いに関係があるが超越するのだ。山を歩くこと、本を読むこと、それだけあればいい(積み上げられた本の中に、宮本常一があるのは自然としても、私小説作家、西村賢太の本があるのは何とも興味深い)。あとは、ミニマムでいい。他方、マスコミに取り上げられることを恋、願っているところもある。聖人ではなく、もともと俗世界に生きる者の聖への願いなのだ(優婆塞)。…千メートルにも満たない山に通いつめる。アルプスの高山でも百名山でもない。そうでなければならないはずだ。富士山がもう一つのターゲットだが、それもシンプルで面白い。この本が私に呼び掛けてくるのは、ヒンドゥー教徒におけるアーシュラマの遊行期のごとく、晩年は、好きなことをすればいい、歩きたければ好きなだけあるけば良い、という実に単純だがきわめて貴重なメッセージなのである。