ソナーニ・デラニヤガラ『波』(佐藤澄子訳、新潮社)

津波・高波という言葉は私には意味がない」と著者は言う。苛烈な出来事が、通常の言葉を破壊する。「海が入ってきた」と著者は書きだすのだ。2004年12月、スマトラ沖地震で一度に家族(夫、二人の子供、両親)を失う。どうして自分だけが生き残ってしまったのか、という答えのない問いに引き裂かれる。しかし、そのような苛烈な経験についての記述が、ニューヨークの精神科医のカウンセリングから始まることに着目したい。これを予定調和的であると言うのは私だけか。…東日本大震災で、このような経験をした人が数限りなくいるのだ、ということをあらためて思い起させられる一方で、このような苛烈な経験が小説になるためには、ニューヨークの精神科医のところに辿りつかねばならなかった。