岩鼻通明『出羽三山』(岩波新書、2017)を読む!

多くの日本人の根にある山岳信仰のひとつの姿を辿る!
かくも豊かな信仰の姿、陰影ある文化が、近代化の圧力のもとで命脈を絶たれかけていた。この本は、どうにか生き永らえた出羽三山山岳信仰について、その活動(修験道)、古い記録(芭蕉出羽三山詣でをした庶民の筆になるの“道中記”)、その組織(講)、寺社の盛衰や聖・上人について、あるいはまた、自分の足で歩いた出羽三山、その地の伝統食(たとえば精進料理)について語る。とくに私の興味を引いたのは、終章近くで述べられている即身仏についてだ。すさまじい祈りの姿が想像される。近世の湯殿山で、一世行人(いっせいぎょうにん)と呼ばれる信仰者が、世のあらゆる苦しみを引き受けるかのようにして入定(にゅうじょう)された、と言うのだ。
これは、ある種、日本人の根本にあるメンタリティー(山を通しての信仰)への近接への試みであるかも知れない。そういう意味で、この本は、何かしら懐かし感覚を呼びおこしてくれる。
他方で、大きな疑問も湧いてくる。
そのように庶民に人気があり、また庶民の生活を側面で支えていた修験が、明治期の近代化の号令のもとに、なぜかくも容易に解体してしまったのか。隆盛を誇った江戸期の修験がすでに完璧に体制内化していたためだろうか。
いろいろな疑問が湧いてくるなかで、何か出羽三山を実際に詣でてみたくなってきた。