関大徹『食えなんだら食うな』(ごま書房新社、2019)

仏教関連の本を読んでいる。仏教と言っても、ブッダの生涯や経典に関する本ではなく、現に行なわれている修行に関する本だ。修験道の本から初めて禅の本を今読んでいる。現代においては生臭坊主も少なくないと思うが、仏教諸派・諸寺で行われている行というのは、非常に厳しいものがあり、超人的なものとさえ言えるのも少なくない。そして、修行に関するいろいろな本を読み進んでいくと、良く知られている修行はごく一部で、仏教諸派・諸寺ではさまざまな行が行われていることが分かってくる。さらに、日本における仏教は、経典は二の次で修行によって成り立っている、とさえ思えてくるのだ。
修行には、単なる苦行で終わらないところ、人を魅了するところがあるようだ。修行は、強制されてするものではなく、自らが進んで行う面がある。悟りというような分かりやすいものではないとしても、一種の精神的鍛練による充実(恍惚とさえいう者がいる)の感覚が得られる。
私がかろうじて理解できる原始仏典(たとえば、中村元訳『ブッダの言葉』岩波文庫)などでは、ブッダバラモン教における厳格な規則づくめの儀礼と過酷な苦行を否認し、信仰の自由でおおらかな姿(人々の救済)を肯定した、ことが理解できる。それは一大改革であった、と思える。反対派にブッダは命を狙われたこともあったからだ。だが、日本の仏教の底流には、苦行の伝統があり、苦行が教団の原動力になっている、のではないだろうか。苦行を問題視したブッダの教えと、日本仏教のなかの苦行の伝統はどう折り合っているのだろう。

<最近読んだ行に関する本>
・宮城泰年、田中利典、内山節『修験道という生き方』(新潮選書、2019)
・田中利典『体を使って心をおさめる修験道入門』(集英社新書、2014)
・田中利典、正木晃『はじめての修験道』(春秋社、2004)
・塩沼亮潤、板橋興宗『大峯千日回峰行』(春秋社、2007)
光永圓道『千日回峰行を生きる』(春秋社、2015)
酒井雄哉『一日一生』(朝日新書、2008)
・関大徹『食えなんだら食うな』(ごま書房新社、2019)